【書評企画】社会的投資を知るための1冊【第6回】

Why Nations Fail

 

ARUNパートナー 花岡伸也
(東京工業大学大学院 理工学研究科 国際開発工学専攻 准教授)

 

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著,早川書房

あなたは社会的投資の投資先を判断する際,その企業の「人」を見ますか,
それとも,それだけでなくその人の「国籍・人種」や「国民性」も考慮しますか?

「国家はなぜ衰退するのか(原題:Why Nations Fail)」は,途上国に少しでも興味を持っている人にとって面白く読める本だ.上下巻ある長めの分量だが,エピソード主体のため物語を読むようにスラスラと読める.日本語訳書の冒頭には,ノーベル経済学賞を受賞した経済学者や著名な歴史学者からの賛辞がこれでもかと並び,期待感を抱かせる.そして,「本書のテーマは,この世界の裕福な国々と貧しい国々とを隔てる,収入と生活水準の巨大な格差である」と始まり,二章でこれまで有力な説とされてきた地理説*1や文化説等を否定し,三章で本書の結論である仮説を示す.四章以降は,約300年前の過去から現在まで世界中で生じた本書の仮説を検証するエピソードが並ぶ.

本書の仮説はシンプルだ.

成長する国は「包括的な政治制度(inclusive)」であり,
成長に失敗する国は「収奪的な政治制度(extractive)」である.

包括的とは中央集権化された多元的な政治制度のことであり,収奪的とは独裁的で階級的な制度のことである(日本の明治維新は包括的制度の例として十章で登場).わかりやすく表現すると,結局,成長には民主主義が不可欠だ,という主張になる.詳しくは本書を読んで欲しい.私は本書の主張に単純に賛同はしない.しかし,著者らの15年間の研究成果の集大成としてまとめられた膨大なエピソードを読み続けると,分野は異なるが研究者という同じ職業をしている者として,著者に驚嘆と尊敬の念を抱く.こんな本が書ければ研究者冥利に尽きるというものだ.

この手の途上国の貧困問題に関する書籍を読むと,いつも考えることがある.人間は生物学的に大きな違いはない.その前提に立ったとき,ある国の個人の特性の多様性・広がり(=個性の分散)と,世界約200ヶ国の国間の多様性・広がり(=国家の分散)はどちらが大きいのだろうか?例えば,国際会議でインド人を黙らせて日本人に意見を言わせれば大成功というジョークがあるが,もちろん寡黙なインド人もいるし,饒舌な日本人もいる(インド人の皆様,失礼な例で恐縮です).国民性というラベルは間違いなく存在するものの,分散はどちらが大きいのだろう.

これまでアジアを中心に様々な海外の人たちと接してきた.職業柄,その多くは研究者と学生という偏りはあるものの,訪問国数は50ヶ国を超え,対話したことのある人々の国籍は70ヶ国を超える.まだ世界の半分にも満たないが,それでも感じることがある.まず,どの国あるいは地域でもほぼ例外なく「われわれ~人は..」という表現を,誰もがすることである(国家名ではなく民族名の場合もある).西アフリカの数カ国を訪れた際,同じ国家の中で民族が数十にも異なり,言語も異なるという話をする一方で,その同じ人が隣国と自国の人たちは全然違うんだ,と話したりもする.これは国家や民族としての意識が自然に醸成されていることに他ならず,当たり前のことかもしれない.その一方で,たびたび接するトップ官僚や国際的に活動している研究者(いわゆるエリート層)は,アジア,欧米,ヒスパニック,アフリカのどこであろうとどんな人種であろうと,比較的共通したマインドを持っていることにも気づく.例えば,自らを客観視する視点を合わせ持っているのは,そのような人たちの共通事項だ.高い志・ビジョンを持つ人が解き放つ雰囲気も,国家や民族を越えて類似した何かを感じる.

途上国はそもそも多様だ.世界の約200ヶ国・総人口約70億人のうち,先進国*2は約30ヶ国,約10億人に過ぎず,残りは経済指標から新興国,中位途上国,最貧国などに分けられる.そうした途上国間の多様性がある中で,人間の思考の本質は究極的に類似しており,国家や民族によらない共通事項があるはずだという思いが私にはある.それが貧困絶滅の可能性の根拠にもなると思っている.究極の楽観的思考かもしれない*3.個性の分散と国家の分散のどちらが大きいのか,その正解は得られないだろう.気づいたときに顧みることを繰り返すことで,国家・国民性と個性の関係をより深く見つめられることを自らに期待している.

長すぎる蛇足が続いた.本書が社会的投資にどのように関係するのか,無理矢理まとめる.近年高齢者向け啓蒙書の出版が多い曽野綾子氏の著作に,「貧困の僻地」「貧困の光景」という良書がある.サハラ以南アフリカの現地に何度も足を運んだ体験とその迫力は心を打つ.両書籍で印象に残るのは,「支援先をこの目で確認し,援助物資も資金も必ず自分の手で直接手渡す」点を強調していることだ.自分で「人」を直接見ることの大切さを説いている.そして,収奪的な国家では多くの援助物資や資金が必要な人に届かないことも繰り返し述べている.

社会的投資は「人」に届く手段だと思う.ここで,冒頭の質問に戻ろう.

あなたは社会的投資を判断するときに「人」を見ていますか?「途上国の~人だからしょうがない」などという上から目線の先入観はありませんか?先入観を捨て去ることは確かに難しい.でも日本だけと比較するのは最悪です.国民性は確実にあるので無視はできませんが,それでも日本だけでなく様々な国と比べてみてください.最後は「人」だと思います.

 

追伸:この文章は,書評を口実に自分の思いを好き勝手に書いたものです.社会的投資の経験どころか,投資委員会さえ一度も出席したことがない私に説得力はありませんのであしからず...

*1 :ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」も地理説の一つとして否定されている.1957年に出版された梅棹忠夫の代表作「文明の生態史観」も地理説の一つと言えるだろう.以前,業界誌で書評をしたポール・コリア-の「最底辺の10億人(書評はこちら)」も地理説に近い.

*2 :そもそも私は「先進国」という日本語の呼称に違和感を抱いている.詳しくはエッセイ「アジアの成熟国としての日本」.

*3 :アビジット・V・バナジー&エスター・デュフロは,著書「貧乏人の経済学」の中で,政治制度で成長の有無が決まるという「国家はなぜ衰退するのか」の仮説を,途上国の貧困脱却は容易ではないと解釈できるとして悲観的だと批判している.アセモグル&ロビンソンは,自らの仮説が悲観的であるとは決して述べていないものの,そのように読まれていることも事実である.

captured image from Lauren Manning “World Population Growth”

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